■ 遍路の訳は...
雑記四国八十八カ所霊場への旅は歴史も古く、余りにも有名だ。
いつの日か、巡礼の旅に出てみたいと思いながらも、少し時間が過ぎた。
まずは、その旅について経験者からお話を伺っておきたい。
この場合、なるべくなら経験豊富な方の話が、何かと良いものだ。
しかしながら、中々そのような方に出会うことはなかったが、
チャンスはある日のこと、突然やって来るものだから不思議だ。
当社の既存取引オーナーではなかったが、ある土地を所有されていて
賃貸案件について思惑が一致しそうな段階に入った方だ。
相当な広さの自宅敷地で、結構な資産家の方だ。
現役の頃は金融畑が長く、不動産の知識も豊富で
舌鋒鋭い方だから、私などはダジタジになってしまう。
応接室に通されて、主要な話を終え、しばし雑談を重ねた。
次回訪問の日時を探ってみたところ、1週間ほど四国へ行く予定が入っている、と言う。
何とはなしに...『もしや、四国霊場の旅に行かれるのでしょうか?』と尋ねたら
突然顔を向けられ、その通りだと言われたので、こちらも驚いた。
しかも、ここ数年は1年に2回も行かれる、相当な経験を有するお遍路さんだった。
その後、話題は一気に巡礼、遍路の旅一色になった。
過去に行かれた何冊もある勧進帳を見せていただき、お遍路衣装や
年季の入った遍路用の杖まで登場して初めて盛り上がった。いや、そのように見えた。
話が落ち着いた頃、思い切って尋ねてみたい事が浮かび上がっていた。
『しかしオーナーのような方が、このようにお遍路に行かれる訳は、一体何でしょうか?』
さすがに一瞬、沈黙となり、場の空気が一気に重たくなった。
やはり、気まずい質問だったかなと、後悔してしまった。
暫く間を置いて、口を開かれて出てきた言葉は意外なものだった.....
何の不足もないように見えた方だったから、返す言葉が見つからなかった。
お遍路さんとなって、巡礼する訳は人それぞれだと思う。
しかし、一心不乱になって祈りに打ち込んでいる時、
悩みから一瞬でも解き放たれるものではないのだろうか...
そのように感じたが、真実の一端は自分でも行かない限り、分かる術もないのだろう。